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使徒の働き19:1 ~ 7

1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。

3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

7 その人々は、みなで十二人ほどであった。

12人の弟子たちの救い(1)

文脈の確認

第三次伝道旅行が始まった(使18232117。紀元53 年の春から56 年の春)。この伝道旅行は、フォローアップが主な目的の旅である。ルカは、エペソでのパウロの奉仕を「サンドイッチ形式」で記述している。(1)12 人の弟子たちのエピソード(1 ~ 7 節)。(2)エペソでの奉仕そのもの(8 ~ 10 節)。(3)スケアの7 人の息子たちのエピソード(1120 節)。

エペソ到着

「アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た」。(1)アポロは、エペソからコリントに移動した。彼は、エペソ教会からの推薦状を持ってコリント教会を訪問し、そこで大いに用いられていた。丁度その時期に、パウロはエペソに着いた。(2)パウロの旅程は、次のようなものであった。彼は、アンテオケから徒歩で300 キロメートル以上を旅しながら、エペソに着いた。アンテオケからエペソまでは、2 つのルートがあった。北のルートは、奥地(高地)を通るルートで、道は険しいが近道である。南のルートは、ローマが建設した道路を通るルートである。パウロは、北のルートを選択した。

エペソについての復習

(1)エペソは、アジアとヨーロッパを結ぶ重要な港があった。(2)前1044年に建設された商業都市である。(3)前4 世紀以降、ギリシャ風都市となった(アレキサンダー大王とその後継者たちが町を建て拡張した)。(4)前2 世紀の終わりにローマが支配した。(5)大いに栄えた商業都市で、当然のことながらアジア州の首都となった。ただしパウロの時代になると、商業都市としては最盛期を過ぎていた。カイストロス川の土砂が、港に堆積し始めたからである。(6)この町はユダヤ人にも寛容だったので、多くのユダヤ人が住んでいた。(7)ここには、世界の七不思議の一つ、アルテミス神殿があった。66m × 130m もある巨大な神殿で、アテネのパルテノン神殿の4 倍もあった。(8)アルテミスは、多数の乳房を持った豊穣ほうじょうの女神である。この町は、アジアにおける偶像礼拝と売春の中心地であった。地域経済も、アルテミス信仰によってうるおっていた。
このような異教の町で、パウロは約3 年にわたって伝道を継続し、生涯で最大の成果を上げる。黙示録2 章に出て来る「七つの教会」は、この期間に設立された。悪魔の活動が活発になると、神の力もより顕著に表れるようになる。信仰によって霊的戦いを戦おうではないか。

きょうの祈り

父なる神よ。この世においては霊的戦いがありますが、その中であなたの力を体験させてください。きょうも信仰によって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記17 ~ 18、ヨハネの福音書8

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